「あああああああああああ!!」
幽助から無理矢理脱出した彼女は落ちて行った。「!!!」とっさに伸ばした蔓は、わずかに長さが足りず彼女の腕を掴むことは出来なかった。この場にいる誰にも、を助けられる力を残しているものはいなかった。霊界獣が慌てて方向転換する。桑原が派手な悲鳴をあげた。しかし間に合わない。何か強い力で引っ張られているかのように彼女は落ちていく。しかも、錯乱状態のは自分が落ちていることにも気づいていないように見えた。このままでは。「!」コエンマが飛び降りようとするのを幽助が制する。そのとき、一緒に落ちて行った目のない魚の咆哮が響いた。
彼女は潰れたトマトになって、森の妖怪たちに食べられるはずだった。魚の叫び声と共に、空中で霊力が爆発した。彼女の従僕はみるみる膨らみ、辺りを覆い尽くす。幽助と仙水が戦った部分を。愚者の森を。目の届かない遠くまで。その範囲は人間とは思えないほどに広かった。霊界獣は従僕のゼリーのような体すれすれで止まった。樹の髪に似た緑色の前で、幽助は困惑の声をあげた。「なんだ、これ」「・・・の能力じゃ。」もっとも、ここまでのは初めてだが、とコエンマが呟いた。「どうにかなんねーのかよ、これ」とりあえず、っと幽助がその中へ霊銃を撃ったものの、ぶるりと震えただけだった。不透明な中に、彼女と、そしてのみ込まれた妖怪たちが漂っていた。「死んでるのか」「いや、が殺せと命じない限り、生き続けるじゃろう。」俺たちは足元に広がる緑色を見た。濁ったその中で、も妖怪たちも安らかな眠りについているのだろうか。「行こう」コエンマが小さく呟いた。
閉じ始めた人間界への入り口を目指し、霊界獣は再び動き始めた。何度も後ろを振り返る幽助へ俺は首を振る。


黄泉に呼ばれ、再び魔界に来た俺が一番に向かったのは愚者の森であった。しかし、そこに前に見た景色は広がっていなかった。広大な森と戦いの後があっただけであった。の能力である緑色の沼はどこにもなかった。なんとなく飛影もここを訪れた気がした。忌々しげに舌打ちをする姿が浮かんだ。
再びを見たのは癌陀羅であった。黄泉がどういう手を使ったかは知らない。知りたくもない、というのが本音だ。俺が黄泉の元へ行った時、そこにがいた。あのときと寸分変わらぬ姿で。違うのは制服に身を包んだは黄泉の横で背筋を伸ばして立っていることだけだ。「蔵馬、久しぶり」笑顔まで変わっていなかった。彼女は黄泉のボディーガードであり、要塞の守護神であった。あの爆発で不安定になっていた彼女の霊力は落ち着きを取り戻し、それにより安定した彼女の霊力はあのときから遙かに跳ね上がっていた。「おや、知り合いなのか」「えぇ、一時とても仲良くしてました。」にこー、と笑ってはこちらを見た。「そうだったかな、」酷いと笑った。あの時と何も変わらない。ああ、猿芝居だ何もかも。

「やあ、」俺に宛がわれた一室の前では体育座りをしていた。揃いのコートが地面にだらしなく広がっている。「元気だった?」「あぁ」「黄泉様と知り合いだったんだね。」「・・・昔馴染みさ。」「そっかー。」は驚いたように目を丸くした。「意外か?お前が黄泉と一緒にいることの方が驚きだよ。」「まあ、そうか、そうよね。」少女の表情が曇る。はあの頃も、今もいつだって自分の感情を隠そうとしない。その素直さを今は憎々しく思う。「俺はお前の感傷に付き合う気はない。そこをどいてくれ。」「冷たいねえ。」久しぶりに友人に会ったというのに、とは嘯く。「友人?笑わせるな。」は従僕に支えてもらいながら立ち上がった。どこか体でも悪くしているのか。見た目に異常は見受けられない。「まあ、怖い怖い」そのまま歩き始める。「あまり心配させるな。」一瞬、動きが止まった。「ありがと、」こちらを振り返ることなく、彼女は薄暗い廊下へ消えて行った。
癌陀羅でのの扱いは予想通りだった。人間が重要なポストに就任したことが、黄泉の部下たちへ大きな衝撃をもたらしたことは想像にたやすい。廊下を歩けば、への悪意が聞こえる。「黄泉様の夜枷をしている」「体で取り入った」それが彼らの専らの主張であった。
「おまえもそう思うか、蔵馬。」「思わないね。」目の前の男が人間ごときの夜枷で人事を決めることなどしないのは明白だった。俺と別れる前なら話は別だったが。「の実力は本物だ。」絶望が彼女の力を飛躍的に強くした、と黄泉は笑った。あの一部始終をどこかで見ていたのか、いや、正確には聞いていただろう。「俺を悪趣味だと思っただろう。」「・・・魔界でのし上がるために必要なことさ。」「かつて蔵馬、お前もそうしたように?」「なんのことだから分かりかねる。」「ふふ、分かっているからここにいるんだろう?」厭らしい笑みだった。


***


魚の中にいた時、不安なんて何もなかった。ただただ生ぬるい液体の中で、幸せな時を思い出し、繰り返し追憶し、死んだように茫洋と生きていた。このままだと死んでしまうとか、自殺しようとかそんなことも考えられなかった。このままでいられれば良かった。何も考えたくない。そんな静寂を破ったのは一人の妖怪だった。不思議な呪文で私のテリトリーを切り裂いた。私は怒った。安寧の眠りを妨げられた。その怒りはすさまじかった。また忍も樹もいない世界に戻らなくてはならない。切られた部分から従僕の体が溢れ出して、闖入者を襲った。妖怪は臆することなく従僕を蹴散らしていく。従僕と妖怪の戦いは一週間続いた。やがて、妖怪は私のいるところへ辿り着いた。従僕の中で丸まった私の首根っこを妖怪は掴むと地面に投げ捨てた。べたべたの体に土が纏わりつく。残った力を振り絞り妖怪へ殴り掛かる。妖怪はあっさりと避けると、体を蹴り上げた。再び地面に叩きつけられて、真っ赤な血が広がった。視界が霞んだ。死ぬのか。私は安堵して目を閉じた。
目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。上体を起こすと体に痛みが走る。雑な手当の仕方だ。目を瞑って従僕を形作る。動かない自分の代わりに部屋を捜索させていると、扉が開いた。「お目覚めはいかがかな。」私の眠りを破った妖怪がいた。従僕が叫ぶ。妖怪に襲い掛かる。「とんだじゃじゃ馬だな。」妖怪の空気が鋭くなって、従僕が弾けた。体液が部屋中に飛び散る。「おっまっえ!!!!」かき集めて再び魚の姿にする。妖怪が感心したように声をあげた。そして次の瞬間再び破裂した。同時に首にひんやりとした掌があてられた。「俺なら、お前の欠けた部分を補えるよ。」妖怪の名前は黄泉といった。
黄泉は一国の王様であった。そして、私は奴に拾われた。周囲が奴のこと黄泉様と呼ぶので私もそれに習った。黄泉様は笑った。「良い拾い物をした。」私に求められたことは癌陀羅という首都を能力で保護することであった。緑色の体液で薄い膜を張る。これでこの首都の周りに私の神経が行き渡った。敵がどこから攻めてきてもわかる。攻撃された場合はそのまま反撃が可能で、しかも外部の情報を偵察することなく知ることができる。黄泉様の期待に応えるのに十分だったようだ。主人は満足そうに私を撫でる。「いい子だ」そのまま膝の上に乗せられる。「褒美は何がいい。」唇を指先がなぞる。私は目を瞑った。忍と樹の体温もない今、この妖怪だけなのかもしれない。
蔵馬と会ったときはびっくりした。一緒に過ごした時よりも温度の低い蔵馬の態度にどうしてか好感が持てた。少しだけ話がしたくて、部屋の前で彼を待った。「あまり心配かけるな」その言葉が嬉しかった。そして、それに私と黄泉の関係を指摘されたような気がした。黄泉を仮初の慰めにしたところで、依存したところで、忍の面影を求めたところで、樹を探したところで何一つ無駄なのだ。それでも、それでも、それでも、私は二人のいない現実を直視したくなかった。黄泉様の甘い言葉で頭を酔い痴れさせたままにして欲しかった。
久しぶりに幽助の霊力を感じた。黄泉様の前で、国宝を投げ出した馬鹿は間違いなく幽助だった。じゃらじゃらと、バカみたいな音。どうしてだか、ほんの少しの付き合いだったのに、幽助も、蔵馬もみんな私のことを心配してくれていた。あぁ、ふすま越しに彼らの声を聞いているとあの時のことが鮮明に思い出されて、溶けて行きそうになる。「私も、それ、のったよ。」癌陀羅を覆う従僕を手元に集めて魚の形にする。少しだけ嬉しそうなわが従僕。
私も、みんなも順調にトーナメントを勝ち進んだ。私は、黄泉様の前に幽助と当る。幽助は忍を殺した張本人だけど、何一つ憎む気持ちはなかった。だって、幽助に殺されること、自分が死ぬこと、それは忍が望んだこと。それよりも、忍に最高の舞台を用意してくれた幽助に感謝をしていた。だからかな、清々しい気持ちで、戦いの場に立つことが出来た。ゴング鳴る。刹那、派手に殴られた。ばーんと。殺気がなかったから避けられなかった。だって、思いっきり吹っ飛ばすようなのじゃなくて、加減されたパンチ。「は、え、え?」「馬鹿か!!お前!!!」「幽助、えっ、は!」「俺は人間だ!!」「お前も人間だろうが!!」「お前は人間でいいんだよ!仙水も樹も、人間のお前を愛してたんだよ!!」頭を強い力で殴られた気がした。ぽかんとした私を幽助は抱きしめた。心臓ないはずなのに、音がする。「人間なんだよ!!」「人間としてきちんと生きろ」「仙水も樹もそれを望んでたんだろ」「大体俺より頭いいんだから、わかんだろーが!ばかちん!」「おっと、幽助選手!お説教だ!」
観客からブーイングが飛んでくる。人間のくせに生意気だとか、人間ならおれたちを楽しませろとか、あぁ、ガラが悪い。仙水はこんなものになりたがっていたのかしら。「馬鹿はそっちよ、ばか!」幽助に渾身の一発を叩き込んだ。それが戦いの合図だった。

包帯をくるくる巻いて椅子に座る私へ、蔵馬が嫌な笑みを湛えながらやって来た。「何よ、負けたのを笑いに来たの?」「違いますよ。そもそも、初めからおかしいと思っていたんです。」「なにが、」わかってるくせに、と蔵馬は笑う。「見張りなら以外に適任がいます。むしろはよっぽど見張りに適していない。なのにどうして、俺があの時疑問に思ったのはそこでした。」それは樹に遮られた言葉の続きであった。「つまり仙水はに人間に戻ることを望んでいたんですよ。」「・・・・」「頑張ってください。」蔵馬は少しだけ寂しそうに笑った。


***


最後の最後に、忍が迷ったこと、樹が私に人間として生きて欲しいと思ったことを知った。あの時、わかっていたことなのに。私は二人を愛しすぎていた。今、少し時間が経って、気持ちがほんの少し、落ち着いた今なら少しだけわかる。それでも、私は二人とともに最後まで在りたかった。大好きだった。愛していた。彼らが望むなら、私は残りの時間を人間として生きよう。ああ、涙が止まらない。


ダークチェンジ


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